「80系関西急電 1954」完成
「80系関西急電 1954」が完成した
(画像をクリックすると大きな画像が表示されます)

 9月に制作を開始した「80系関西急電 1954」が完成した。今年の最初に作った1951年編成(その頃は「80系 関西急電 II」と表記)と比較して多少時間が掛かったのだが、自分の中では「ゲームをやっていたから」ということになっている。もうちょっとやりたいのがあるんだけど、どうしようかなあ。
 素材はいつもの通りグリーンマックスのキット「80系一次車」がベース。今となっては貴重となった板キットから制作している。いよいよ手持ちも残り少なくなった。他、動力ユニットや細かいパーツもいつも通りで、トミーテックやカトーの部品を適宜利用している。他、DT17形台車の再現のため、阪急シリーズの床下機器ではお馴染みの武蔵模型工房の3Dプリントパーツを使い、鉄道コレクション用動力ユニット付属の台車枠パーツをT車にも利用している。
 編成は
  86067 80099 80100 80101 86068
の5両編成で、第三次代用編成と同じくMT比が「3:2」となる。余談だが、マイクロエースが発売した80系の関西急電がこの編成で、当時は不勉強だったためにこんな編成があるとは知らず、「何でモハが3両なんだ?」と疑問に感じていた。金型流用の俗に言う「タイプ」モデルなのだが、メーカーが注釈を付けた部分以外にも違いがある。今回作っていて分かったのだが、おそらくマイクロエースが所有している金型で比較的似ているのがこれしかなかったのだろう。ちなみにPDF(図面)ではベンチレーターも“間違っている”のだが、実際の製品では正しい形状のものが付いていたようだ。

奇数向きクハ、86067
(画像をクリックすると大きな画像が表示されます)

偶数向きクハ、86068(番号が左右対称だ)
(画像をクリックすると大きな画像が表示されます)

 先頭車となるクハ86。奇数向きの86067と偶数向きの86068でジャンパ線の有無や床下機器の配置を違えている。1951年編成ではジャンパ栓受けだけにしていたのだが、今回そのものずばりの86067の写真がなく、後でしっかり考察しよう……と思っていたら忘れていつもの手癖でジャンパ線付きのパーツを付けてしまった。多分栓受けだけのような気がする……。

中間車モハは完全同形が3両だ
(画像をクリックすると大きな画像が表示されます)

(画像をクリックすると大きな画像が表示されます)

(画像をクリックすると大きな画像が表示されます)

 中間車の80形は基本的に完全同一だ。模型なので1両にだけ動力ユニットを組み込んである(真ん中の80100)。

クハの屋根の塗り分けは見直し
(画像をクリックすると大きな画像が表示されます)

 ディティールで異なる部分以外は1951年編成と同じ作りなのだが、唯一変えたところはクハの運転室上の屋根の塗り分けラインである。実物ではキャンバスが張ってあるグレーの部分を少し後退させた。ほんの2〜3ミリではあるが、かなり印象が変わって来る。多分今回の方が正解だと思うのだが、正確な資料も少なく推測が混じる。同形状の70系と80系でも違うし、同じ80系でも製造時期によって違うし、さらには更新修繕工事で変わっている可能性もありではっきりしない。幸い私はキャンバス押さえを省略しているので、もし後から正確な資料が見つかった場合でも修正が可能である。

モハのパンタ周りは考察に基いて変更
(画像をクリックすると大きな画像が表示されます)

 パンタグラフ周りは1951年編成と同じにするつもりで作り始めたが、実車資料を見ていると他形式では1952〜1953年頃から屋根上に避雷器が確認できる。その頃に更新工事か何かで取り付けられるようになったのか? だとすればその後に製造された車両は最初から屋根上避雷器だったのではないか? というわけで今回はキットのモールドをそのまま利用している。

問題のDT17形台車
(画像をクリックすると大きな画像が表示されます)

 GMのパーツの中では“穴”になっているDT17形台車(DT12も穴だが、DT13で誤魔化せないこともない)。同社のモハ70が本来DT17を履いているタイプなのに何故か作られていない。タヴァサやボナファイデプロダクトがパーツを作っているが、今一つ使い勝手は良くない。その後鉄道コレクションで登場したものの、パーツ単体での入手が難しい。同動力ユニットに付属する台車枠は動力車用なのでT車には使えず……でもたくさん余るので、何とかこれが利用できないか。今回探してみると先述の3Dプリント部品を発見したので、早速使ってみた。
 結果は、ご覧の通り使えるパーツではあるが難点もある。1つはアクリル樹脂なせいで柔軟性に欠け、割れやすい。今回の作業中に2つも破損してしまった。もう1つは、若干車高が低くなるようである。うっかりそこのところチェックせずに使ってしまったので、完成後編成を組んでから気付いた。僅か0.2mmか0.3mm程度のことだが、編成美にやや乱れが出てしまった。そこまでしてDT17の形状に拘るか、諦めてDT20で代用してしまうか、判断に悩むところである。

3本目の80系関西急電
(画像をクリックすると大きな画像が表示されます)

 1950年編成1951年編成に続く3本目の80系関西急電で、あとは1956年度の100/200番台編成が作れたら私の中では一通り揃うことになる。1952年編成もあるにはあるけど、今のところはマストの気分ではない。さらには計画表に一次車とか300番台とかもあるけど、それらはフリーランスになるので後回し。他を終わらせたときに余力が残っていたらの話になる。
 写真は左が今回、右が前回のものになる。少しだけ今回の方が赤みが強くなってしまった……ぶどう色3号は安定していると思ったんだけどなあ。でも写真で見るほど肉眼での差はない。関西急電で車両を混ぜて編成することはないので、これぐらいなら許容範囲内――ということにしておく。

(2025.11.15)
   TOP PAGE 侃侃諤諤 橘発の夜行鈍行