80系関西急電

GM80系キットを関西急電仕様で制作
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  グリーンマックスの初期型80系キットを関西急電仕様で制作してみた。私が80系の関西急電を作るのは3度目で、1回目はGMの塗装済みキット素組み、2回目が未塗装板キットから当時としてはかなり気合を入れての制作だった。初回の塗装済みキットは色んな観点から言って不満ばかりのこるものなので、現在は“戦力外通告”状態。2回目のは旧国制作にハマる前に作ったもので、今見るといろいろと“至らない”点があるのだが、当時としてはそれなりに気合を入れて作り、思い入れもあるので今後もメモリアルというか自分の歴史の一部として大切に保管する予定。侃侃諤諤本編でも少し書いたが、その2回目の登場時4連にサハを増備して5連化する案もあった。その程度には出来たものだったということである。いろいろ見ているうちに、いろいろと思い出して、やっぱりイチから作り直さねば、ということで今回は完全新規作成となった。

今回(左)と前作(右)との比較

  前作から一番変えたかったのはどこかというと、屋根肩の塗装である。前作当時は全然知らなかったのだが、80系は屋根布が屋根全体には貼られておらず、屋根の肩の部分まで車体色(湘南色だと緑、関西急電色はぶどう色)で塗られていた。新作ではここを是非再現したい、ということで制作開始。そして前面の加工(原形の木枠への復元)中に、前作の窓サイズがちょっとおかしいんじゃないか?ということになり、ギリギリまで攻めてみることにした。印象が右の前作とかなり違うと思うんだけど、如何なもんでしょか? あと、この画像では絶対分からないレベルなのだが、窓ガラス(セル)も今回ははめ込み式にしている(1枚目の大きい方を見てもらった方が分かるかも)。ヘッドライトの輝き具合(例によって非点灯)だけが前作から劣化していて、何か別の塗料を使ったのかどうかちょっと記憶になくて現在首を捻っているところ。この夏の暑さで塗料が劣化したのかも……。
  ちなみに、関西急電登場時はヘッドマークが付けられていなかったようで、右の前作にも取り付けていない。サボったわけではないので念のため。でも実物に付いててもサボった可能性はゼロではない。

モハの配管と、妻面窓

  ドアを交換したのと、戸袋窓を前面窓同様木枠に“復元”したあたりは前作と変わりがない。内容的に一番大きく変わったのはパンタグラフ周りと妻面窓。配管は元々小加工に留める予定だったのだが、各種資料を見ているうちに段々と気が変わって最終的にこのような形に。実車資料に乏しくよく分からなかったのだが、最終的に『とれいん』2010年7月号の作例と『吊掛賛歌3』のイラストをベースに、いくらかの私の想像を加えて制作。『CRAFT MODELS 13』にあった実車写真ではパンタ鍵外し線も付いているように見えなくもないのだが、該当部分は小さくしか見えておらず、自信がなかったので省略した。これ、今も良く分からないんだけど、旧国って製造当初はパンタ鍵外し線ってなかったのかな? 明らかに付いている車両であっても省略して作る方がいて、そのせいもあって原形の作例見ても省略されているだけなのか実車になかったのかが判断できない。
  妻面は、2次車以降の2段窓になったのを再現。ここも面倒なので省略する考えもあったのだが、せっかく作るのだからと加工することにした。やってみての感想は「面倒だった」の一言に尽きる。タヴァサのパーツ云々は確か侃侃諤諤本編で書いた通り。あの後考えていて分かったのだが、多分タヴァサのパーツは一体ボディになった後のキットを想定したパーツなんじゃないかと。

前作にはなかったサハ

  今回は“フル編成”の5両なので、サハも1両制作。これが実はちょっとした曲者。関西急電の登場時は4両で、途中から5両に増強された。以下、私の資料の読み込みが間違っていなければのお話。4両から5両にするのにサハ1両を増やしたわけだが、このサハの出自は大きく2つに分けられる。最初から関西急電用に製造されたものと、元々東京方面で使われていたものと。前者は1951年以降に製造され、この年以降の車両はそれまでとはベンチレーターの形状が異なっている。後者は、東京でサハの一部がサロに置き換えられて余剰が発生し、ちょうど必要になった関西へと送られてきた。番号で言うと36から40の5両で、ベンチレーターが変更される前の車両になる。つまりどういうことかと言うと、どちらのサハを作るかでベンチレーターを変える必要があるということ。さらにもっと言うと、クハ、モハの番号の選択によって組み込まれたサハの番号が決まり、ベンチレーターの形状にも影響してくるというわけである。クハモハは綺麗に数を揃えて製造されていたから、番号を揃えて編成されていたことと思う。しかし後から持ってきたサハは違うだろう。どこの編成に何番を入れたか分からない。これはある意味モハの配管以上に困った。残念ながら当時の編成表はどこを探しても出てこず、一体どういう組み合わせだったのかはまるで不明。ちなみに今回作りたかったのは、ベンチレーターが初期のもので統一された編成。ベース(?)のクハモハのうちベンチレーターが初期型だったものは7編成。“新型”サハは“新型”クハモハの編成と揃えて編成を組んだと仮定すると、東京からやって来た“初期”サハと組んだ可能性は各編成「5/7」なので……と考えてみると少し気が楽になった。最終的に、資料がなくて分からないなら自分の好きな番号にしよう、ということで関西急電で最も数字が小さいクハモハサハで編成を組むことにした。
  完成した後で振り返るとちょっとした些細なことなんだけど、作ってる最中に悩み始めると手が止まっちゃって困るんだよ(苦笑)

(2016.10.03)

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