最後のフィルム写真
2年ぶりにして暫定「最後の」フィルム写真

 2月に買って来たフィルムの撮影をようやく終えた。36枚ちょっとの撮影に半年以上もかかったのは何故か? 今回は2年前よりさらにフィルムの価格が上がり、撮影に及び腰になったのが主な理由だ。フィルム代3850円に現像代が約2000円、36枚撮るのに6千円弱もかかるのである。1枚あたり160円強、私の場合露出ブラケットで1つの構図で大体3枚撮るので500円近くなる計算だ。フィルムカメラしかなかったあの頃みたいに、軽い気持ちでシャッターを切るわけにはいかなかったのだ。
 体は既にデジタルの撮り方に慣れきっている。たくさんシャッターを切り、後から良く撮れたものをセレクトするスタイルだ。今、フィルムで同じことをやろうとすると一体いくらぐらいのお金が必要になるだろうか。デジタルの今は気軽に「思い切った構図」「挑戦的な撮影」ができるのだが、実のところ満足な結果を得られることはそう多くない。時々撮れる「大当たり」を目指して、私は100枚、200枚と撮影を重ねるのだ。1枚あたりのコストが極めて低いデジタルならではの“技法”であり、高級品であるフィルムで同じ真似はできない。“最後のフィルム”だから、1枚だけでいいから印象に残る写真を撮ってやろうと意気込んでいた。しかし同時に失敗を恐れ、「フィルムで撮っておこうかな。でもイマイチ自信がないな……」とシャッターを切るチャンスを何度も見送った。
 そうやっていつの間にか9月も半ばが過ぎていた。そろそろいい加減撮り始めたフィルムは現像に出さねば、と思い立ち、その時咲いていた百日紅の花で最後のコマを埋めた。特に挑戦的なことも何もせず、ピントと露出と最低限の構図だけ気を配って、素直と言えば聞こえはいいが平凡な写真を撮った。こうして“最後のフィルム”は特に何てことはない1本に終わったのである。
 2年ぶりのフィルム撮影で得られた結論は、実は2年前に到達していたもののようだ。今日これを書くにあたって久しぶりに読み返し、自分が同じことを繰り返していたことに気付いた。事前に読んでおけば……事前の心構えがあれば何か変わっていただろうか。もしかするとだが、2年前のことを思い出していれば特に気負うことなく漫然とシャッターを切り、却って偶然にも「おっこれいいじゃん」という写真が撮れていた可能性が……いや、それはないか。どうやら私は記憶力がないということが判明したので、今、今日、ここに「最後の1本」宣言をしておきながら2年ぐらい経ったら「またフィルムでも買って来るかー」なんて言いながら近所のカメラ屋に立ち寄るかもしれない。その時はせめて、“2年前”に自分が書いたものを読み返すぐらいのことはしたいものだ。あと、その時までフィルムが生産されていること、次はあまり値上がりしていないことを願おう。

(2024.10.03)
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